電化前後の相模線 [鉄道(過去分)]
久しぶりに過去の撮影分からです。
今日は、1991年3月の電化直前と電化直後の相模線を。
電化の直前は、クリームと青のツートンカラーのキハ35がメインで走っていた。
■茅ヶ崎行き普通列車(キハ35 211+キハ30 97)
■後追い(キハ35 211+キハ30 97)
■電化を祝う連続旗(下の広告が時代を感じる・・・)
■電化を祝う垂れ幕
■電化後の普通電車茅ヶ崎行き(205系 500番台 R7編成)
■後追い(205系 500番台 R7編成)
■電化後の普通電車茅ヶ崎行き(205系 500番台 R10編成)
今回の写真は、卒業式のネガフィルムをスキャンしていて偶然(?)発見。
他のネガフィルムにも、こんな形で混ざっているかもしれないので、また何か発見したらアップします。
今日は、1991年3月の電化直前と電化直後の相模線を。
電化の直前は、クリームと青のツートンカラーのキハ35がメインで走っていた。
■茅ヶ崎行き普通列車(キハ35 211+キハ30 97)
■後追い(キハ35 211+キハ30 97)
■電化を祝う連続旗(下の広告が時代を感じる・・・)
■電化を祝う垂れ幕
■電化後の普通電車茅ヶ崎行き(205系 500番台 R7編成)
■後追い(205系 500番台 R7編成)
■電化後の普通電車茅ヶ崎行き(205系 500番台 R10編成)
今回の写真は、卒業式のネガフィルムをスキャンしていて偶然(?)発見。
他のネガフィルムにも、こんな形で混ざっているかもしれないので、また何か発見したらアップします。
廃止直前の横軽 [鉄道(過去分)]
この週末はせっかく仕事のない3連休だったにもかかわらず、悪天候に加えて東海道線、横須賀線に入ってくるはずだった臨時列車の設定取り消しが相次ぎ、非常に残念な週末となった。
だからというわけではないが、久しぶりに過去の写真を紐解いてみた。
今日は1997年9月6日(土)撮影分から。
この日は9月30日に廃止される信越本線横川-軽井沢間の俗に言う「横軽」に遠征。
まずは上野10:00発のあさま9号で横川へ向かう。
■あさま9号(3009M 189系 N201編成)
■方向幕
■隣ホームに到着した北斗星2号(EF81 81号機牽引)
奥に湘南色の東北線、上には常磐線103系が見える。
あさま9号は11:33に横川駅に到着。
ここで2機のEF63を補助機関車(補機)として連結する。
■横川駅でのEF63の連結(手前の軽井沢側はEF63 7号機、横川側は号機不明)
作業員の人が慣れた手付きで連結し、あさま9号は約8分後に2機のEF63に押し上げられながら碓氷峠を登っていった。
■合間に撮影したEF63 6号機
■合間に撮影したEF63 19号機
軽井沢駅であさま9号から下車し、駅構内で何枚か。
■停車する115系長野色
■軽井沢駅跨線橋から
右のほうは開業を待つ北陸新幹線(長野行新幹線)。
■軽井沢駅ホームから
右にはさっき押し上げてもらったEF63 7号機が停車中。
■EF63 7号機
SONY DSC-F1(*1)
(*1) DSC-F1は、1996年10月発売のSONYのデジタルカメラ1号機。 30万画素ですぐに色飽和し、さらにすぐにバッテリーが切れてしまうため、まだまだ銀塩には遠く及ばなかった黎明期のデジタルカメラ。
■EF63 18号機
SONY DSC-F1
EF63 18号機は「惜別」のヘッドマークをつけていた。
この後、予約しておいたレンタカーを借りて沿線へ。
めがね橋(碓氷第三橋梁)へ行ったりしたが、時間通り列車が来ない。
当時は携帯電話で調べたりも出来ないため、不思議に思いつつ線路脇の撮影ポイントへ移動。
■上りあさま号(189系 あさま色)
SONY DSC-F1
■上りあさま号の後追い
SONY DSC-F1
■下り白山号(489系 白山色)
SONY DSC-F1
■下り白山号の後追い
■上りスーパーエクスプレスレインボー(EF63 4号機+EF63+EF62牽引)
■EF63 4号機
元々ダイヤが乱れ気味だったが、この後ピタッと列車が来なくなった。
近くの人たちと色々と話をしていたが、誰かから「団臨のEF62が故障したため、EF63 4機で峠を下ろすらしいぞ」という話を聞いて、みんなで盛り上がった。
自分は銀塩のコンパクトカメラのフィルムを既に使い切っていたので、DSC-F1を持って待機。
とはいえ、列車が来ないうちに夕方になりだんだん辺りが暗くなってきた。
ここで近くにいた人が「ヤバい!露出があ~!」と叫びながら、車をジャッキアップし始めて、何をするのかと思ったら車のヘッドライトで列車を照らそうと頑張っていた(笑)。
そうこうしているうちに、遠くから轟音が聞こえてきた。
■団臨(9344レ EF63 18号機+EF63+EF63+EF63+EF62+旧客+12系客車)
SONY DSC-F1
貴重な5重連だったが、思ったとおりDSC-F1では止められず、こんな感じ。
光は前述の車のライト(笑)。
SONY DSC-F1
SONY DSC-F1
SONY DSC-F1
自分はレンタカーの返却時間と帰りのあさま32号(3034M 18:18軽井沢発)の時間があるので、ここで現地を後にしたが、団臨の通過中、皆で盛り上がり団臨の人も手を振ってくれて、碓氷峠最後のよい思い出となった。
これ以降、何度か軽井沢は新幹線で訪問しているが、いまだに新幹線で通るたびにEF63が毎日列車を引き上げて下ろしていたあの頃のことを思い出してしまう。
当時、ご一緒した方々、お疲れさまでした。
だからというわけではないが、久しぶりに過去の写真を紐解いてみた。
今日は1997年9月6日(土)撮影分から。
この日は9月30日に廃止される信越本線横川-軽井沢間の俗に言う「横軽」に遠征。
まずは上野10:00発のあさま9号で横川へ向かう。
■あさま9号(3009M 189系 N201編成)
■方向幕
■隣ホームに到着した北斗星2号(EF81 81号機牽引)
奥に湘南色の東北線、上には常磐線103系が見える。
あさま9号は11:33に横川駅に到着。
ここで2機のEF63を補助機関車(補機)として連結する。
■横川駅でのEF63の連結(手前の軽井沢側はEF63 7号機、横川側は号機不明)
作業員の人が慣れた手付きで連結し、あさま9号は約8分後に2機のEF63に押し上げられながら碓氷峠を登っていった。
■合間に撮影したEF63 6号機
■合間に撮影したEF63 19号機
軽井沢駅であさま9号から下車し、駅構内で何枚か。
■停車する115系長野色
■軽井沢駅跨線橋から
右のほうは開業を待つ北陸新幹線(長野行新幹線)。
■軽井沢駅ホームから
右にはさっき押し上げてもらったEF63 7号機が停車中。
■EF63 7号機
SONY DSC-F1(*1)
(*1) DSC-F1は、1996年10月発売のSONYのデジタルカメラ1号機。 30万画素ですぐに色飽和し、さらにすぐにバッテリーが切れてしまうため、まだまだ銀塩には遠く及ばなかった黎明期のデジタルカメラ。
■EF63 18号機
SONY DSC-F1
EF63 18号機は「惜別」のヘッドマークをつけていた。
この後、予約しておいたレンタカーを借りて沿線へ。
めがね橋(碓氷第三橋梁)へ行ったりしたが、時間通り列車が来ない。
当時は携帯電話で調べたりも出来ないため、不思議に思いつつ線路脇の撮影ポイントへ移動。
■上りあさま号(189系 あさま色)
SONY DSC-F1
■上りあさま号の後追い
SONY DSC-F1
■下り白山号(489系 白山色)
SONY DSC-F1
■下り白山号の後追い
■上りスーパーエクスプレスレインボー(EF63 4号機+EF63+EF62牽引)
■EF63 4号機
元々ダイヤが乱れ気味だったが、この後ピタッと列車が来なくなった。
近くの人たちと色々と話をしていたが、誰かから「団臨のEF62が故障したため、EF63 4機で峠を下ろすらしいぞ」という話を聞いて、みんなで盛り上がった。
自分は銀塩のコンパクトカメラのフィルムを既に使い切っていたので、DSC-F1を持って待機。
とはいえ、列車が来ないうちに夕方になりだんだん辺りが暗くなってきた。
ここで近くにいた人が「ヤバい!露出があ~!」と叫びながら、車をジャッキアップし始めて、何をするのかと思ったら車のヘッドライトで列車を照らそうと頑張っていた(笑)。
そうこうしているうちに、遠くから轟音が聞こえてきた。
■団臨(9344レ EF63 18号機+EF63+EF63+EF63+EF62+旧客+12系客車)
SONY DSC-F1
貴重な5重連だったが、思ったとおりDSC-F1では止められず、こんな感じ。
光は前述の車のライト(笑)。
SONY DSC-F1
SONY DSC-F1
SONY DSC-F1
自分はレンタカーの返却時間と帰りのあさま32号(3034M 18:18軽井沢発)の時間があるので、ここで現地を後にしたが、団臨の通過中、皆で盛り上がり団臨の人も手を振ってくれて、碓氷峠最後のよい思い出となった。
これ以降、何度か軽井沢は新幹線で訪問しているが、いまだに新幹線で通るたびにEF63が毎日列車を引き上げて下ろしていたあの頃のことを思い出してしまう。
当時、ご一緒した方々、お疲れさまでした。
昔の上野駅他 [鉄道(過去分)]
ここしばらく鉄道写真が撮影できていないため、過去分から。
管理が悪くて毎度のことながら記憶が定かではないのだが、1980年~1981年頃の写真。
当時の上野駅発の列車はヘッドマークがなく、さらに自信がない。
【1981年頃の上野駅にて】
■急行天の川(802レ 20系 EF58 134号機牽引)
この頃は、上野方に郵便車(スユ16)が連結されていた。
■天の川の行き先表示
■天の川の後部(ナハネフ23)
■急行新星(1002レ 20系客車 EF58 119号機牽引)
おそらく新星だと思うが、イマイチ自信がない。
■寝台特急ゆうづる(****レ 24系 EF80 26号機牽引)
【1980年頃の東京駅にて】
■急行銀河の後部(20系 ナハネフ22)
まだ横須賀線が地上ホームから発着していた頃なので、東海道線、横須賀線分離運転が始まった1980年10月1日以前の撮影なのは確か。
【1980年の茅ヶ崎駅にて】
■貨物列車(****レ EF58 167号機牽引)
スチームを吐きながら走る姿が印象的だった。
管理が悪くて毎度のことながら記憶が定かではないのだが、1980年~1981年頃の写真。
当時の上野駅発の列車はヘッドマークがなく、さらに自信がない。
【1981年頃の上野駅にて】
■急行天の川(802レ 20系 EF58 134号機牽引)
この頃は、上野方に郵便車(スユ16)が連結されていた。
■天の川の行き先表示
■天の川の後部(ナハネフ23)
■急行新星(1002レ 20系客車 EF58 119号機牽引)
おそらく新星だと思うが、イマイチ自信がない。
■寝台特急ゆうづる(****レ 24系 EF80 26号機牽引)
【1980年頃の東京駅にて】
■急行銀河の後部(20系 ナハネフ22)
まだ横須賀線が地上ホームから発着していた頃なので、東海道線、横須賀線分離運転が始まった1980年10月1日以前の撮影なのは確か。
【1980年の茅ヶ崎駅にて】
■貨物列車(****レ EF58 167号機牽引)
スチームを吐きながら走る姿が印象的だった。
オーストラリアの鉄道 [鉄道(過去分)]
1999年にオーストラリアで撮影した写真をいくつか。
しばらく、「海外」=「仕事」の生活が続いていたが、今回は久しぶりに観光でオーストラリアへ。
オーストラリア北部のケアンズから人気観光地のキュランダへ日帰りで出かけた。
キュランダでは現地のアボリジニの人たちのショーやマーケットを見物。
帰りは世界遺産の熱帯雨林を通ってケアンズに向かう有名なキュランダ高原列車に乗車。
■キュランダ高原列車(Kuranda Scenic Railway)のキュランダ駅(Kuranda)にて
■途中のバロン滝駅からのバロン滝(Barron Falls)
バロン滝駅では十数分停車するので、ゆっくりとバロン滝を眺めることができた。
■時々熱帯雨林の合間から見える海
■滝のそばを通過中
キュランダを出て約1時間45分ほどでケアンズ駅に到着して高原列車の旅は終了。
オーストラリアではこの後、エアーズロックを経由してシドニーへ。
シドニーでは支店にお世話になった先輩をアポなしで訪ねて、昼食をご馳走になってしまった。
その際は大変お世話になりました。m(_ _)m
しばらく、「海外」=「仕事」の生活が続いていたが、今回は久しぶりに観光でオーストラリアへ。
オーストラリア北部のケアンズから人気観光地のキュランダへ日帰りで出かけた。
キュランダでは現地のアボリジニの人たちのショーやマーケットを見物。
帰りは世界遺産の熱帯雨林を通ってケアンズに向かう有名なキュランダ高原列車に乗車。
■キュランダ高原列車(Kuranda Scenic Railway)のキュランダ駅(Kuranda)にて
■途中のバロン滝駅からのバロン滝(Barron Falls)
バロン滝駅では十数分停車するので、ゆっくりとバロン滝を眺めることができた。
■時々熱帯雨林の合間から見える海
■滝のそばを通過中
キュランダを出て約1時間45分ほどでケアンズ駅に到着して高原列車の旅は終了。
オーストラリアではこの後、エアーズロックを経由してシドニーへ。
シドニーでは支店にお世話になった先輩をアポなしで訪ねて、昼食をご馳走になってしまった。
その際は大変お世話になりました。m(_ _)m
タグ:オーストラリア
シンガポール・マレーシアの鉄道 [鉄道(過去分)]
1996年にシンガポールにて撮影した写真をいくつか。
■マレー鉄道(Keretapi Tanah Melayu-KTM)タンジョン・パガ駅(Tanjong Pagar)
シンガポール駅とも呼ばれるマレー鉄道最南端駅。
駅構内に国境検問所があり、ここで出国となる。
駅舎には「Welcome to Malaysia」と書いた垂れ幕があった。
■線路の終端、車止めのある地点にて
■駅のホームからマレーシア方面-真ん中の線路は機回し線
■マレーシア方面から到着した普通列車
■機関車機回し中
この駅は、熱帯の国の終着駅の雰囲気抜群。
この日撮影したディーゼル機関車が牽引する普通列車は、後日の週末にマレーシアに日帰り旅行に行くときに乗ったが、ボロボロの客車でビックリした。
■シンガポール地下鉄(Mass Rapid Transit-MRT)
MRTは街中は地下鉄でホームドアも設置されているが、郊外では高架上を走っている。
ちなみに臭いの強烈なドリアンは持ち込み禁止。
ドリアンと言えば、滞在中に支店のローカルの人たちがプレゼントしてくれて食べることができた。
自分で買って食べる勇気はなかったので、良い経験だった。
■マレー鉄道(Keretapi Tanah Melayu-KTM)タンジョン・パガ駅(Tanjong Pagar)
シンガポール駅とも呼ばれるマレー鉄道最南端駅。
駅構内に国境検問所があり、ここで出国となる。
駅舎には「Welcome to Malaysia」と書いた垂れ幕があった。
■線路の終端、車止めのある地点にて
■駅のホームからマレーシア方面-真ん中の線路は機回し線
■マレーシア方面から到着した普通列車
■機関車機回し中
この駅は、熱帯の国の終着駅の雰囲気抜群。
この日撮影したディーゼル機関車が牽引する普通列車は、後日の週末にマレーシアに日帰り旅行に行くときに乗ったが、ボロボロの客車でビックリした。
■シンガポール地下鉄(Mass Rapid Transit-MRT)
MRTは街中は地下鉄でホームドアも設置されているが、郊外では高架上を走っている。
ちなみに臭いの強烈なドリアンは持ち込み禁止。
ドリアンと言えば、滞在中に支店のローカルの人たちがプレゼントしてくれて食べることができた。
自分で買って食べる勇気はなかったので、良い経験だった。
タグ:シンガポール
イギリス・ベルギーの鉄道 [鉄道(過去分)]
1995年、イギリスのロンドンを拠点に撮影した写真をいくつか。
【新交通システム】
■ドックランズ・ライト・レイルウェイ(Docklands Light Railway-DLR)(*1)のタワー・ゲートウェイ駅(Tower Gateway)にて
当時、ロンドンのシティにあるオフィスから、このDLRで欧州データセンターのあるドックランズ地区に時々出かけていた。
(*1) ドックランズ・ライト・レイルウェイ(DLR)は1987年に開業したコンピューター制御の鉄道。
【旧イギリス国鉄】
■ソールズベリー駅(Sailsbury)にて
■ネットワーク・サウスイースト(Network SouthEast)(*2)の車両
■リージョナル・レイルウェイズ(Regional Railways)(*2)の車両
■ウインザー・アンド・イートン・リバーサイド駅(Windsor and Eaton Riverside)にて
■ウインザー城(Windsor Castle)をバックに
■別角度から
■ベアステッド駅(Bearsted)にて
■ヨーク駅(York)にて
■インターシティ(InterCity)(*2)の車両
■車両の側面
(*2)イギリスの旧国鉄(British Rail)が部門別に分割されて誕生した旅客輸送の3セクター
・ ネットワーク・サウスイースト(Network SouthEast)...通勤路線・イングランド南東部都市間輸送
・ リージョナル・レールウェイズ(Regional Railways)...その他地域輸送
・インターシティ(InterCity)...都市間の特急列車
部門ごとに別れてはいたが、当時の切符は全部「British Rail」と記載されていた。
セクター化後に民営化されたりセクターの運営が民間にフランチャイズ化されたりして、正直実態がよく分からなかった。(^^;;
【国際列車ユーロスター(Eurostar)】
■ウォータールー国際駅(Waterloo International)(*3)にて
■ユーロスターの側面
■フランス上陸後の車窓(300km/h運転中)
当時、ユーロスターに乗ってみたくて週末にベルギーへ一泊旅行に出かけた。
(*3) 2007年11月、高速新線High Speed 1-HS1 (Channel Tunnel Rail Link-CTRL) が開業して始発駅がセント・パンクラス駅(St. Pancras)に変更されるまでの間の始発駅。国際ターミナルは現在は閉鎖されている。
CTRL開業前のイギリス国内は第三軌条方式だったため速度が上げられず、ゆっくりと英仏海峡トンネル(the Channel Tunnel)に向かい、フランス上陸とともに最高速度300km/hで高速走行していた。
【ベルギー国鉄】
■ブリュッセル中央駅(Gare de Bruxelles-Central)からアントウェルペン(アントワープ)(Antwerpen)へ向かう列車(アムステルダム行き)
■アントウェルペン(アントワープ)中央駅(Antwerpen-Central)
ベルギー旅行の主目的がユーロスター乗車だったので、翌日の帰りのユーロスターまでの間ベルギーでの予定は特に決めていなかったが、ブリュッセルのベルギー王立美術館でルーベンスの絵画を見て、翌日はルーベンスの家があり、あの『フランダースの犬』の舞台であるアントウェルペン(アントワープ)へ出かけた。
各地で撮り貯めた写真などは、またの機会に。
2010.4.10 本文一部修正
【新交通システム】
■ドックランズ・ライト・レイルウェイ(Docklands Light Railway-DLR)(*1)のタワー・ゲートウェイ駅(Tower Gateway)にて
当時、ロンドンのシティにあるオフィスから、このDLRで欧州データセンターのあるドックランズ地区に時々出かけていた。
(*1) ドックランズ・ライト・レイルウェイ(DLR)は1987年に開業したコンピューター制御の鉄道。
【旧イギリス国鉄】
■ソールズベリー駅(Sailsbury)にて
■ネットワーク・サウスイースト(Network SouthEast)(*2)の車両
■リージョナル・レイルウェイズ(Regional Railways)(*2)の車両
■ウインザー・アンド・イートン・リバーサイド駅(Windsor and Eaton Riverside)にて
■ウインザー城(Windsor Castle)をバックに
■別角度から
■ベアステッド駅(Bearsted)にて
■ヨーク駅(York)にて
■インターシティ(InterCity)(*2)の車両
■車両の側面
(*2)イギリスの旧国鉄(British Rail)が部門別に分割されて誕生した旅客輸送の3セクター
・ ネットワーク・サウスイースト(Network SouthEast)...通勤路線・イングランド南東部都市間輸送
・ リージョナル・レールウェイズ(Regional Railways)...その他地域輸送
・インターシティ(InterCity)...都市間の特急列車
部門ごとに別れてはいたが、当時の切符は全部「British Rail」と記載されていた。
セクター化後に民営化されたりセクターの運営が民間にフランチャイズ化されたりして、正直実態がよく分からなかった。(^^;;
【国際列車ユーロスター(Eurostar)】
■ウォータールー国際駅(Waterloo International)(*3)にて
■ユーロスターの側面
■フランス上陸後の車窓(300km/h運転中)
当時、ユーロスターに乗ってみたくて週末にベルギーへ一泊旅行に出かけた。
(*3) 2007年11月、高速新線High Speed 1-HS1 (Channel Tunnel Rail Link-CTRL) が開業して始発駅がセント・パンクラス駅(St. Pancras)に変更されるまでの間の始発駅。国際ターミナルは現在は閉鎖されている。
CTRL開業前のイギリス国内は第三軌条方式だったため速度が上げられず、ゆっくりと英仏海峡トンネル(the Channel Tunnel)に向かい、フランス上陸とともに最高速度300km/hで高速走行していた。
【ベルギー国鉄】
■ブリュッセル中央駅(Gare de Bruxelles-Central)からアントウェルペン(アントワープ)(Antwerpen)へ向かう列車(アムステルダム行き)
■アントウェルペン(アントワープ)中央駅(Antwerpen-Central)
ベルギー旅行の主目的がユーロスター乗車だったので、翌日の帰りのユーロスターまでの間ベルギーでの予定は特に決めていなかったが、ブリュッセルのベルギー王立美術館でルーベンスの絵画を見て、翌日はルーベンスの家があり、あの『フランダースの犬』の舞台であるアントウェルペン(アントワープ)へ出かけた。
各地で撮り貯めた写真などは、またの機会に。
2010.4.10 本文一部修正
中学修学旅行(神戸・京都) [鉄道(過去分)]
1981年6月の終わりから7月の始めにかけて、中学の修学旅行にて神戸・京都へ。
天気はあいにく全日程で雨か曇りで、旅行中に太陽を見ることはなかった。
■神戸新交通ポートアイランド線 南公園駅にて(ポートライナー8000系)
雨の中、この年開催されていた神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア '81)を訪れた。
神戸新交通ポートアイランド線(ポートライナー)は、この年(1981年)、三宮と人工島であるポートアイランドを結んで開業した新交通システム。(2006年に神戸空港開港に伴い、神戸空港まで延伸した)
■京阪三条駅にて(京阪 3000系)
■京阪三条駅にて(京阪 1000系(更新車)、1900系(1810系改))
京都市内を自由行動するため、同じ班のメンバーと京阪三条駅から電車に乗った。
京阪電車の形式は全く分からないため、かなり不安(おいおい)。
詳しい方、間違っていたら教えてください。
■梅小路蒸気機関車館
清水寺、太秦映画村などを回ったあと、梅小路蒸気機関車館を訪れた。
■C62 2号機 つばめマーク付き
■C61 2号機、8620形(8630)
■C11 64号機
■D51 1号機、B20 10号機
■D52 468号機、C59 164号機
梅小路蒸気機関車館の売店で、使い古しの特急の行き先表示幕をお土産に売っていたので買って帰り、ずっと大切に自室の押入れの奥にしまっておいたが、実家の建替時の片付けにて発見できず...
一緒にしまっておいた旧国鉄の機関車や列車関係のムック類も発見できず、親にいつの間にかこっそり捨てられた模様。
当時もかなり凹んだが、思い出すとまた凹む...
天気はあいにく全日程で雨か曇りで、旅行中に太陽を見ることはなかった。
■神戸新交通ポートアイランド線 南公園駅にて(ポートライナー8000系)
雨の中、この年開催されていた神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア '81)を訪れた。
神戸新交通ポートアイランド線(ポートライナー)は、この年(1981年)、三宮と人工島であるポートアイランドを結んで開業した新交通システム。(2006年に神戸空港開港に伴い、神戸空港まで延伸した)
■京阪三条駅にて(京阪 3000系)
■京阪三条駅にて(京阪 1000系(更新車)、1900系(1810系改))
京都市内を自由行動するため、同じ班のメンバーと京阪三条駅から電車に乗った。
京阪電車の形式は全く分からないため、かなり不安(おいおい)。
詳しい方、間違っていたら教えてください。
■梅小路蒸気機関車館
清水寺、太秦映画村などを回ったあと、梅小路蒸気機関車館を訪れた。
■C62 2号機 つばめマーク付き
■C61 2号機、8620形(8630)
■C11 64号機
■D51 1号機、B20 10号機
■D52 468号機、C59 164号機
梅小路蒸気機関車館の売店で、使い古しの特急の行き先表示幕をお土産に売っていたので買って帰り、ずっと大切に自室の押入れの奥にしまっておいたが、実家の建替時の片付けにて発見できず...
一緒にしまっておいた旧国鉄の機関車や列車関係のムック類も発見できず、親にいつの間にかこっそり捨てられた模様。
当時もかなり凹んだが、思い出すとまた凹む...
167系修学旅行電車他 [鉄道(過去分)]
今日は過去撮影分から。地元近辺で撮影した写真を何枚か。
【1978年頃】
■修学旅行電車(167系)
撮影地はおそらく相模貨物駅付近。列車番号は「8706M」と見える。
当時走っていた臨時の急行伊豆号(もしくは常盤伊豆号)に充当されていたものと推測されるが、今となっては不明。
■鶴見線普通電車(72系)
この72系は1980年頃まで走っていた。
鶴見線は確か改札も別で、東京近郊区間の運賃計算方法を利用した「100円旅行」でも行きづらかったため、当時は縁遠い路線だった。
【1980年頃】
■東海道線普通電車(113系)
撮影地はおそらく平塚駅。
当時の平塚には鉄道模型が充実していた「こみや」という模型店があり、時々お小遣いを握り締めては出かけていた。
【1981年夏頃】
■急行伊豆号 (801M 185系)
撮影地は茅ヶ崎駅。185系登場当時の写真。
思い切り早切りのダメダメ写真だが、今となっては当時の看板類が懐かしいかも。
急行伊豆号は、この年の10月に特急踊り子号が登場して特急あまぎ号とともに姿を消した。
2009.9.23 本文一部変更
【1978年頃】
■修学旅行電車(167系)
撮影地はおそらく相模貨物駅付近。列車番号は「8706M」と見える。
当時走っていた臨時の急行伊豆号(もしくは常盤伊豆号)に充当されていたものと推測されるが、今となっては不明。
■鶴見線普通電車(72系)
この72系は1980年頃まで走っていた。
鶴見線は確か改札も別で、東京近郊区間の運賃計算方法を利用した「100円旅行」でも行きづらかったため、当時は縁遠い路線だった。
【1980年頃】
■東海道線普通電車(113系)
撮影地はおそらく平塚駅。
当時の平塚には鉄道模型が充実していた「こみや」という模型店があり、時々お小遣いを握り締めては出かけていた。
【1981年夏頃】
■急行伊豆号 (801M 185系)
撮影地は茅ヶ崎駅。185系登場当時の写真。
思い切り早切りのダメダメ写真だが、今となっては当時の看板類が懐かしいかも。
急行伊豆号は、この年の10月に特急踊り子号が登場して特急あまぎ号とともに姿を消した。
2009.9.23 本文一部変更
品川遠征 [鉄道(過去分)]
1980年、友達と一緒に品川へ遠征。
当時は東京近郊区間の運賃計算方法を利用して、「100円旅行」(注)と称して改札を出ることなく、時々電車に乗りに出かけていた。
(注)1980年当時の茅ヶ崎-北茅ヶ崎間の運賃は100円だったため。
運賃自体は100円でも、当時お小遣いから出せるフィルム代や現像代は限られていたので、100円旅行に親のカメラを持ち出す頻度はそれほど多くはなかった。
■品川車両基地に並んで停車するさくら号(14系14形)と出雲号(24系25形)
■入換作業中のDD13 70号機
前照灯はシールドビームではなく白熱灯1灯タイプ。
■東海道線上り普通電車(113系)
当時はまだ211系も存在せず、普通電車は全て113系だった。
■通過するあさかぜ号(EF65 1110牽引)
この頃の通過列車の写真はシャッター早切りの傾向がある。
今でも大して変わっていないかもしれないけど...
■あさかぜ号の後追い(カニ24 100番台)
隣には103系の京浜東北線が。
■寝台急行銀河号(EF65 1133牽引)
■EF65 1133号機と20系客車(ナハネフ22)の接続部分
当時の銀河はまだ20系客車だった。
■銀河号の後追い(カニ21)
ちょうど103系の山手線と京浜急行も...
■停車中のEF58 12号機
12系客車を牽引して停車していた。
■EF58 12号機の側面
昭和28年 川崎車輌改造と書いてあった。
■12系彗星号
彗星がなぜ品川に居たのか、今から考えると不思議。
■停車する単機のEF58 129号機
■停車する14系客車
幕がヘンな位置で止まっていて、「SOYOKAZE」という英字表記だけが見えていた。
当時は東京近郊区間の運賃計算方法を利用して、「100円旅行」(注)と称して改札を出ることなく、時々電車に乗りに出かけていた。
(注)1980年当時の茅ヶ崎-北茅ヶ崎間の運賃は100円だったため。
運賃自体は100円でも、当時お小遣いから出せるフィルム代や現像代は限られていたので、100円旅行に親のカメラを持ち出す頻度はそれほど多くはなかった。
■品川車両基地に並んで停車するさくら号(14系14形)と出雲号(24系25形)
■入換作業中のDD13 70号機
前照灯はシールドビームではなく白熱灯1灯タイプ。
■東海道線上り普通電車(113系)
当時はまだ211系も存在せず、普通電車は全て113系だった。
■通過するあさかぜ号(EF65 1110牽引)
この頃の通過列車の写真はシャッター早切りの傾向がある。
今でも大して変わっていないかもしれないけど...
■あさかぜ号の後追い(カニ24 100番台)
隣には103系の京浜東北線が。
■寝台急行銀河号(EF65 1133牽引)
■EF65 1133号機と20系客車(ナハネフ22)の接続部分
当時の銀河はまだ20系客車だった。
■銀河号の後追い(カニ21)
ちょうど103系の山手線と京浜急行も...
■停車中のEF58 12号機
12系客車を牽引して停車していた。
■EF58 12号機の側面
昭和28年 川崎車輌改造と書いてあった。
■12系彗星号
彗星がなぜ品川に居たのか、今から考えると不思議。
■停車する単機のEF58 129号機
■停車する14系客車
幕がヘンな位置で止まっていて、「SOYOKAZE」という英字表記だけが見えていた。
茅ヶ崎機関区 [鉄道(過去分)]
1979年、中学生になってすぐ、クラスで仲良くなった友達と国鉄の茅ヶ崎機関区を訪問。
中学生のみにも関わらず、見学を快諾してくれた。
入口を入ってすぐに目に飛び込んできたDE10 11号機。
上の写真のアップ。茅ヶ崎機関区の「茅」の札が見える。
■DE11 2003号機
最初のDE10 11号機を別角度から。
■DD13 247号機
■機関区に並ぶ首都圏色の相模線(キハ35系、奥はキハ10系)
「エンジン見るかい? どうせなら写真撮ってけ!」
夢中であちこち写真を撮っていたとき、DE11を整備していた人がエンジンルームを開けて写真を撮らせてくれた。
途中、東海道線を通り過ぎる12系客車に思わずカメラを向けて1枚。
左にはDD13 355号機、真ん中はワム、右はDE10(号機判別できず...)。
当時としても珍しかった車両(救援車 スエ38 7)。
キハ35。こんな構図の写真はなかなか撮れない。
■機関区に並ぶ首都圏色の相模線その2(左からキハ35系、キハ10系、同じくキハ10系)
■通過するあまぎ(183系)
当時の茅ヶ崎機関区の方々、休憩中などの貴重な時間に、突然見学に来た中学生の自分たちに色々と説明をしながら案内してくれて、本当にありがとうございました。
中学生のみにも関わらず、見学を快諾してくれた。
入口を入ってすぐに目に飛び込んできたDE10 11号機。
上の写真のアップ。茅ヶ崎機関区の「茅」の札が見える。
■DE11 2003号機
最初のDE10 11号機を別角度から。
■DD13 247号機
■機関区に並ぶ首都圏色の相模線(キハ35系、奥はキハ10系)
「エンジン見るかい? どうせなら写真撮ってけ!」
夢中であちこち写真を撮っていたとき、DE11を整備していた人がエンジンルームを開けて写真を撮らせてくれた。
途中、東海道線を通り過ぎる12系客車に思わずカメラを向けて1枚。
左にはDD13 355号機、真ん中はワム、右はDE10(号機判別できず...)。
当時としても珍しかった車両(救援車 スエ38 7)。
キハ35。こんな構図の写真はなかなか撮れない。
■機関区に並ぶ首都圏色の相模線その2(左からキハ35系、キハ10系、同じくキハ10系)
■通過するあまぎ(183系)
当時の茅ヶ崎機関区の方々、休憩中などの貴重な時間に、突然見学に来た中学生の自分たちに色々と説明をしながら案内してくれて、本当にありがとうございました。